1995年黒綾館杯、ついに当日!

いよいよ、生まれて初めての日本拳法の試合「黒綾館杯」当日がやってきた。
バドミントン大会の経験は豊富にあるが、格闘技は全くの初めての私。
緊張しないと言えば嘘になる。

おはようございます!

ピピッ!ピピッ!ピピッ!ピピッ!ピ!ピ!ピ!ピ!ピ!ピ!ピ!ピ!ピ!ピ!

「うぉぉぉ!初試合だー!」
「パパ!うるちゃい!」

という事で、日本拳法初試合当日の朝を迎えた。
私には、バドミントン選手の頃から、試合当日のルーティーンがある。
まずシャワー。
シャワーで体の表面の古い細胞が落ちていき、体の内面からパワーあふれる細胞が火山噴火のように生まれ沸き起こるイメージを膨らませていく。

シャワーを浴び終えて気合が満ちた私。
「行くぞ!おらぁぁぁ
「パパ!うるちゃい!」

朝食は、プロティンと焼餅に納豆を絡めた納豆餅を3個。2つ目玉焼きと味噌汁。
これが、高校性ぐらいからの試合当日の朝食だった。
前日用意してあった持ち物の最終確認。

「さすがにジャージじゃね」と、黒い表卍を外した少林寺拳法衣。

白帯。
お口で溶けて手で溶けない。血糖値を上げるM&Mチョコ。
防具用の軍手、タオル2本。
シャワーソープ。タオル。
スポドリの粉とスポドリ用ボトル。

「5万円で、家族旅行をプレゼントしてよ!」
「すみません。店長に聞いてみます」
ごねる営業マンを説き伏せ、85万円に値切ったミニバン無き当時の人気車種、愛車“サニーカリフォルニア(スピーカーの配置が良くて音が良かった)”にバッグを乗せ、道場へゴー!

道場に着くと…

道場へ付くと、先輩達がうようよと10人ほどいる。
「昇段級試験となれば、皆、受験するよな」と思っていたら、マネージャーのOSさんも受験。
OS「今回、黒綾館で初めての昇段級審査会なんですよ」
私「へー、そうなんですか」

そうなのだ。出来たばかりだった。私が入門した1995年の2年前に創設されたのが黒綾館。この日、初の昇段級審査会で「黒綾館初の黒帯誕生なるか!」な日だったのだ。

道場には、見慣れない若者が6名ほどいた。実はこれが…。
KG大学日拳部OB二名とKG大学日拳部現役の4名。
「げ!現役大学生が来てるのか?」
大学の運動部がやってきている!これって、私の中では相当な事だ。

バドミントン現役選手の頃、大会で大学生と当たる事は無かった。なぜなら、体育会系の大学部活には、大学対抗のリーグ戦、インターカレッジ、東日本学生とか西日本学生とか、その他、大学生向け大会が年間多数ある。なので、社会人だった私が出場するような地方大会やオープン大会には、通常大学生は出場しない。

千葉県習志野市オープン大会(これが毎月開催!)に、千葉工科大学が出場していたのを見た事があるが…。
私の所属していた社会人チームに、大学生が練習にやってきた事は何度もあるが、町道場の昇段級審査会や大会に、現役大学生が参加するというのは、私のイメージには無かった。

するとマネージャーのOSさん。「先生がKG大学出身なんですよ」
私「なるほど。昇段級審査の相手ですか。現役大学生相手とは、日本拳法は厳しいですね」
OS「黒綾館杯にも出ますよ」
私「ええ!現役大学生には、絶対勝てないでしょう」
OS「その通りですが…。勝負はやってみなければ、判りませんよ(ニヤリ)」

そして始まったのが、昇段級審査会。
当時の日本拳法連盟の審査基準には…
私「え?形審査無しですか?」
OS 「ええ、日本拳法は強ければ昇段できます」
私「すげえなぁ。少林寺拳法と真逆ですね」
OS「とはいえ、あまりにも技形が酷いと落ちますよ(笑)」

日本拳法の昇段級審査会は「五段の指導員が何人かいて…」みたない規約が決まっていて、当然、この規約を満たせば昇段級審査会は開催できる。
この規約は、毎年のように改定されていて、この当時は初段までは町道場で昇段級審査会を開催できたのだ。

あの伝説のジャケット付き大会の

さて、防具試合審査が次々に行われていく。
先輩vs先輩はまあこんな感じかなと思ってみていたが、先輩vsKG大学現役を見て…「KG大学現役強すぎ!」
「化け物じゃねーか!」

当時のKG大学は部員も30名ほどいて、学生リーグでも上位の成績を残しており、強豪大学の一角だった。
そんな大学の現役選手だから、強いのは当然…と思ってみていたら、その大学生を蹴散らす三人がいた。
TKさん。KWさん。OTくんの三人。

TKさんは「そりゃあ強いだろう」な、現役の陸上自衛隊員(笑)。
KWさんは「そりゃあ蹴りが上手いだろう」な、フルコン空手の猛者。
ローキックの鬼(日拳では反則!)

そしてOTくん。
身長は178cmと程よい大きさで、がっちりとした80kg程の体重。その体から繰り出される、右ストレート、ハイキック、後回し蹴り!
「柔道部だったんですよ」
「何段?」
「弐段です」

澤山宗臣宗家も柔道五段だった。日本拳法に理想的な柔道のベースがあるOTくんは年齢は同時22歳と若く、黒綾館を象徴する存在だった。
この時、OTくんが今後の私の日本拳法家の人生に、大きな影響を与えるとは思いもしなかった。

私「OTくんは、かなり強くないですか?」
OS「ええ、実は、OT君は…」

高坂剛氏、アレクサンダー大塚氏、イーゲン井上氏が出場した、あの伝説のジャケット最強決定戦「トーナメントオブJ」に、日本拳法枠で出場していて、プロとして総合格闘技の試合にも出ている超猛者だったのだ。
OTくんは、この黒綾館杯の5年程2000年9月2日、入江キングダムこと“キングダム・エルガイツ”の川崎大会に出場。
「武者さん。セコンドに付いてくださいよ」
でセコンドについた私は、“足関十段”と呼ばれた今成正勝選手と激闘を見届ける事になる。
1995年11月13日のこの日、まさかそんな事になるとは知らず

「強いなぁ!凄いなぁ!」

OTくんを羨望のまなざしで見ていた私だった。

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