33歳ド素人が日拳の大会に出ても大丈夫か?

日本拳法のこと

「勝負の世界」と言ったら、カッコつけ過ぎかも知れない。

しかし、中学バドミントン部、高校サッカー部、バドミントン実業団リーグ、その他、様々な大会へ参加していたあの頃は、間違いなく私は「勝負の世界」にいた。

日本拳法へ入門して一週間後、また勝負の世界へ
やるからには優勝を狙う!

黒綾館杯へ向けて

1985年11月5日に日本拳法黒綾館へ体験入会のつもりが、一回の防具乱取りでガチ入門を決定し、次の日曜日。11月12日に開催される黒綾館杯出場決定した。
初めての日拳稽古、初めての防具試合稽古を終えて、上機嫌でビールをがぶ飲みし、気分上々で寝た翌日の月曜日。

気分上々で目が覚め…

「痛ぁぁぁぁ」
全身がスーパー筋肉痛だった。

「首が痛い…」、夢中でやっていた防具稽古、面の重みに私の首が悲鳴あげたのだ。

それでも何とか、午前5時起床。
シャワーを浴びて、家族を起こさないようにスーツを着こむと、5時30分には自宅を出ていた。

長距離通勤者だった私は、この頃、通勤電車の地獄のような混雑を避けるため、タイムシフト通勤をしていた。
当時の我が社にはフレックスタイム制度は無く、勤務時間帯を決める制度があったので、8時から16時30分の勤務時間帯を私は選んでいた。

「さて、コンディショニング作りか…。試合に向けて何をするかなぁ」

5時47分の始発電車に乗り、ぼんやりと考えていた。

通勤時間は、ドア・ツー・ドアで、片道1時間50分。考える時間はたっぷりある。

「日本拳法のコンディショニング作りなんて、どうやったら…」
まず浮かんだイメージは、合宿中のゴルフ場を走るボクサーの映像。

「走るか」

職場の本社ビルは、フィットネスルームにランニングマシンがあるから、走る事にはこまらない(笑)。

フィットネスルームでは、運動能力テストが受けられた。ダイエットに成功した直後の運動能力テストでは、体力年齢20歳と出た。

「おそらく、瞬発力、心配能力、身体操作・巧緻性はダメって事はないんだろうな。しかし、対人に対する相対的なパワーと考えると、戦闘で俺は戦えるのかどうか」

素人同士の喧嘩ではない。
相手は、私よりも数年、日本拳法の修業した道場の先輩達。
「あの筋肉だもんなぁ。俺なんて捻り潰される」
初稽古で優しいかった先輩達だが、試合となればマジで牙をむいて向かってくるのだろう。
怖すぎる…。
私の頭の中では、アイスホッケーのキーパーのお面をつけた、先輩達がチェーンソウを振り回していた

中学へ入学してすぐに始めたバドミントン。SE時代は休んでいたが、営業マンになり仕事量が人間的になった。サービス残業、サービス休日出勤は皆無。

31歳にしてバドミントン復帰!

試合にも出場し、市大会男子ダブルス一部で準決勝敗退し、3位決定戦で勝利し3位になった。

日本拳法の素人なんだから

日本拳法は始めたばかりで、基本すら良く判っていない。

「コンディション作りはバドミントン流だな」

インターバル走

中国ステップ

ダッシュ

サイドステップ

大ウサギ

ロングジャンプステップ

バック走ダッシュ

ダッシュ&スピン

半回転→逆半回転→逆1回転半!

素振り

フットワーク…

「なんて、できるか?今の俺に?(笑)」
バドミントンの現役選手時代のコンディショニングなんてやったら、体壊す(笑)。

「通勤時間を考えたら、コンディショニングは本社ビル18Fフィットネスルームだけでだろうな」
私の職場は本社ビル25階。7階下18階のフィットネスルームには、ランニングマシン(最高速16kh/hしか出ないけど)がある。
ダイエットに熱中していた時期は、16km/hで2km→3km→4km→5kmと走れるようにもなっていた。
エアロビクス、ベンチステップ、ジャズダンス、ファンクダンスもプログラムでやっている。

「スピードだな。今の俺はスピードで勝負するしかない!」
「酒も試合まで辞める!」

7時30分ぐらいに出社。本社ビル19階の食堂へ。カウンターで顔見知りのおばちゃんに
「今日は洋食で!」
これは、いつものルーチン。
19階食堂で、モーニングサービス(洋食)orモーニング定食(和食)を食べていた。

その頃、私が所属していた営業チームでは、M課長を中心に出欠自由のモーニングミーティングをやっていて、課長、K課長代理、I課長代理、O先輩、私の5人が毎日参加していた。
同じチームに、後輩のTがいたがモーニングミーティングには、参加していなかった。

余談だがこの時のM課長が超仕事が出来る方。中卒で課長にまでなった方。二人の課長代理も高卒の叩き上げ。O先輩も5年後には課長代理になっているし、後輩のTは10年後課長になっていた。
結果、主任止まりは私だけだったが(笑)。

このモーニングミーティングでは、IT企業の営業マンとしてアイデンティティを構築する事ができた。

M課長のチームへ入って2週間程した時、私の仕事ぶりを見たM課長から、こう言われたものだ。

「君は本当に3級なのか?」

3級とは職能給の事で、最低が4級。私は入社して11年経過していたが、1回しか昇級していなかった。この頃の大卒しか採用しておらず、新入社員は入社して3年もしないで2級へ昇級する。このM課長のチームに入り、半年で6億5千万円のシステムを受注し、その後、1億7千万円のシステムを受注した。8ヶ月程後の人事で、2級へ昇級した私に、M課長は笑いながら言った。

「『まさか、武ちゃんを1年目社員と同じ職能級で、使うつもりではありませんよね?』って、部長に言ってやったよ(笑)」

閑話休題。

モーニングサービスをお盆に持って、食堂ラウンジへいくと、M課長チームのモーニングミーティングが始まっていた。

「おはようございます」「おはよう」「おはよう」

M「今朝の日経新聞の記事で…」
私「あ、これですよね」
M「そうそう。この記事」
I「武ちゃん。さすがだな」
私「いえいえ、新聞読むの好きなんですよ」

当時の営業担当には、読売、朝日等4大新聞はもちろん、金融新聞、家電新聞等、メジャーな業界の新聞も全て購読していた。日経新聞は、バンキングシステムのSE時代から購読していた(現在は読売と産経をローテーション)。

M「週末はどうだった?」
私「日本拳法始めたんですよ」
I「弁護士にでもなるのか?」
私「それは日本国憲法ですよ。日本拳法です」
K 「おー!また凄いの始めたね」
K課長代理は合気道五段。確か日本合気会だったような…。

私「防具を付けて、殴っても蹴っても良いし、投げても関節決めても良い。日本の総合格闘技です。面白いですよ。一発ではまりました」
I「週一回の稽古で強くなれるのか?」
K「森ビル時代に、合気道サークルを作って教えていたんだけど、週一回でも上達するんだよね」
M「そうか。楽しみがあるのは良い事だ。怪我だけは注意してね」
私「はい!」

コンディショニング開始!

そして、待ちに待った昼休み。
18階のフィットネスルームへ行き、日本拳法初試合へ向けてコンディショニング作りを開始した。
その頃、女性インストラクターが3名、フィットネスルームに常駐していた。
Doスポーツプラザの女性インストラクターが管理者として1名。他2名は派遣契約だった。Doのイントラは3年ほどで交代だったのだが、他2名は10年程、働いていた。この他2名もDoの歴代も、全て美形。当然、スタイルも良く、男子社員から大人気だった。事実、2名が我が社の男子社員と結婚している。

「ランニングマシン、珍しいですね」
ダイエット成功後は、フィットネスルームでは筋トレが中心だったので、DoのインストラクターMさんが話しかけてきた。
Mさんは、アニメ『スラムダンク』の赤木晴子そっくりで(これマジで)、ファンクダンスが抜群に上手くてカッコよく、私の後輩も数名恋心を抱いていた。

「はぁはぁ、日本拳法始めたんですよ」
「日本憲法?法律?」
「いえいえ。はぁはぁはぁ、格闘技です。はぁはぁはぁ」
「はい。きつそうだから(笑)」

前述したとおり、日本拳法は始めたばかりなので、基本も良く判っていない。なので、バドミントン選手時代のコンディショニングを一週間行い、初の日本拳法試合へ挑む事にした。

当時の私のコンディショニングは、試合2日前まで、心拍数160以上に上げて、チャイニーズステップや素振り、フットワーク、スーパーサーキットトレーニングをやっていた。これはバドミントン選手時代からのやり方だった。
そのため、昼休みはランニングマシンで16km/hで2k走り心拍数を上げて、マシンを使ってスーパーサーキットトレーニング。

シャワーを浴びて大急ぎで昼食を取り、仕事へ戻る。

夕方、仕事が終わったらフィットネスルームへ行き、エアロビクスやファンクダンスをやり帰宅。
以上が、月曜日~木曜日まで。
金曜日は、エアロビクスを軽めに。
試合の前日土曜日は、近所を軽くジョギングして、3本ほど8割でダッシュをやる。
「おお!体軽い!」
超久しぶりの絶好調の身体の感触に喜びつつ、ストレッチングを入念にやった。

「よし!明日はやるぞ!」

1995年11月12日初めての日本拳法、試合前日、ビールを飲みながら気合を入れていた。

「一週間、酒やめるんじゃなかったんか~い!」

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