昇段級審査会で不合格となった皆さんへ

日本拳法のこと

本日、令和4年9月18日、明治大学リバティタワー格技場にて、全国日本拳法連盟昇段級審査会が行われた。
私がコーチを務める某大学からも2名が受験した。

日本拳法とは

日本拳法は武道だ。

武の道だ。
それは己を成長させる道だ。
成長するとは、今日の自分にあした勝つ。と言うことだ。

あれは2002年、私が40歳だった時だ。
二段の私は、県連盟の昇段級審査会があり、三段受験者の相手をした。

受験者は顔見知り。私が圧勝した。
「三段なんて簡単じゃん。俺なら受かるな」
そう確信した私は、次の県連盟の昇段級審査会にて三段を受験した。

私の相手は現在、多くの大会で審判をやっていただいている、立正OBのYS四段。そして若干30代にして五段の立正OBTK氏。
関東学院OBのKT四段。

全員が私より若いが、私よりも段位が上だった。
これには事情があり、関東の日本拳法では、30歳過ぎると試合にはあまり出る人は少なく、40歳過ぎたら試合にも出ないし、昇段級審査会も受験せず、昇段は推薦で昇段していくのが習わしになっていたからだ。

しかも、五段以外は、全員と稽古した事があり、自分の方が実力は高いと高を括っていた私。
「三段もらったな」
と、余裕だった。

形受験では、やりなれた水煙の形をやりこれも合格を確信した。

そして、防具試合審査。最初の相手はTK五段。30代で五段。顔見知りで、実力者である事は百も承知だった。

試合審査

試合前、
TK「お手柔らかに」
KT「いよいよ三段ですね」
YS「サクッと合格させますよ」
私「おお!今日は相手よろしく」

第一試合はTK五段だった。
審判が「始め!」といった瞬間、TK五段が構えたと思いきや「いえやぁぁぁ!」と気合。
目つきが完全に変わっていた。

ここで怯んでは負けると私も「よっしゃあぁぁぁぁ!」と裂ぱくの気合。

間合いを作り、渾身のワン・ツーを撃った。
結果、試合でTK五段にあっという間に2本取られ瞬殺された。
しかも、この時の審査会場が黒綾館のホームグランドである、某市営体育館道場。道場で教えている道場生や子供達が大勢見ていた。

「負けた!負けるにしても、あんな瞬殺とは!」

動揺しすっかり雰囲気に飲み込まれた私だったが、ここで気持ちまで退いてはいけない。それに、二人目からは、いつも稽古で勝っている二人だ。

「残り二人に勝てば、良いんだよ(笑)」

そして二人目のYS四段。
試合開始早々に、面を右直突きで捉えたが審判は旗を上げない。

(え?今の一本だろ!)と、審判をやっているIK三段をチラ見する私。

次に胴を突くがやはり審判の旗は上がらない。
(おかしい!なぜ一本にならない)と焦っているうちに、相手のカウンターの胴突きを食らい一本取られた。

(やばい!)

焦った私は必死に攻撃を加えるが、ことごとく一本にならない。
完敗だった。

最後のKT四段戦も同様。
結果、この日、私は一本も取れず三段受験に落ちた。

「なんだよあれ!なんで俺の打撃が一本ならねぇんだよ!」

一人きりのロッカールームで、そう吐き捨て、納得がいかなかった。

後日、館長から呼び出され、二人きりで話をした。
館長「もう年だから推薦で三段どうだ?」
私「いやでも、ガチ受験で三段に合格したいです」
館長「そうか。だけど土肥先生も『推薦にしてはどうか?』と言っているぞ。俺もそう思う。40歳なんだから推薦で良いんだよ」
私「…。判りました。考えさせてください」

(いつもなら一本だったじゃないか!取ってくれない!審判ダメなだけだ!もう一回受験すれば、絶対に合格できる)

今思えば、そう思い込む事で現実から私は逃げていた。
40歳の私が、これ以上強くなる可能性は限りなく低いという現実。
「年齢も年齢だし社会人で稽古量も増やせないし、俺は二段までかな。三段は推薦かな…」
三段受験に不合格となり、一ヶ月二か月過ぎて私の考えは変わっていった。

それから半年ほどして次の昇段級審査会。私が入門から教えてきたS島が、三段を受験してサクッと合格してしまった。
稽古になれば、今まで教えていたS島が、三段の指導員として、先生、師範と並んで前に座っている。
悔しいとか悲しいとかの前に、自分の力の無さが情けなくなった。
「日拳辞めるか」と、本気で考えたが、ここで辞めたら本当の負け犬になる。なんて事は無いけど、自分自身が納得いかない。

こんなモヤモヤを抱えながらも、仕事はしなくてはいけないし、子供の面倒も見なければならない。

ずるずると日拳を続けて、半年程経過したある日。
新人が黒綾館へ入門してきた。この新人が、元明治大学日拳部全日本学生優勝メンバーの一人、IKだった。
IKの拳法はまさに天才肌。
体内に疲労物質が溜まりやすい体質のため、脱力して戦う。
この時もこの後も、IKのような戦い方をする者を見た事が無い。
聞けば、日拳は大学から始めたと言う。

「生徒が必要とする時に、先生が現れる」

私は、18歳年下のIKに教えを乞い、かつ防具稽古の相手をしてもらった。
しかし、全く歯が立たず一本も取れない。取れる気配すらない。
全ての攻撃をシャットアウトされる。
しかし私には、失望感より高揚感があった。

「IKから一本取れるようになれば、必ず三段に合格する。しかも、一本かどうかではなく、誰もが一本と納得する一本を取る」
そう心に決めていたのだ。

毎週毎週、IKに瞬殺され続けていたが、1年程するとそう簡単には一本取られなくなった。
2年ほどして遂に一本を取る事が出来た。

「今なら三段を狙える!」

そう思い、県連盟ではなく本部の昇段級審査会で三段を受験した。
「誰もが納得する一本を取る!」そう心に誓っていたからだ。身内ともいえる県連盟ではなく本部のガチ受験で、合格したかった。
結果、渾身の一撃は全て一本となり、2勝1分で合格した。
試合を勝ち越した時は、自然と涙が出た。

形も合格となり、三段になって道場の支部長になった。
支部長になると、道場での自分の稽古量が減る。
そのため、四段は推薦かと思ったが、中部の凄いKW先生が東京へ単身赴任となり、黒綾館へ入門してきた。

稽古終了後の居残り稽古で、KW先生から指導を受けた。

「そろそろ行けるじゃない!」
とのKW先生の後押しもあり、2014年12月7日、52才で四段を受験する。

その時は、四段受験者が私一人だったので、三段受験者6人と試合して無傷の6連勝が合格条件。
早稲田、明治、明治学院と三連勝して、東洋OBと引き分け。
5人目の慶應生に勝った所で本部から「もう充分」と言われ四段合格した。三段受験はあんなに苦労しのに、四段はあっさり簡単に合格した。三段受験の時と同じ、三段受験者が相手だったのだ!それでも、一人にも負ける気がしなかった。
一本取られたのは、東洋OB一人だったし、大して疲れもしなかった。
「試合は楽しいから、もう一試合やらせて!」とマジで思ったものだ。

さて、もしも2002年の初めての三段受験で合格していたら、私は今の実力を身に付けていただろうか?
断言する。絶対に今の実力は身に付けていない。

私が三段に合格していて、そこに、明大OBのIKが入門してきても
「あいつは明治のレギュラーで、現役引退したばかり。強いのは当たり前」
と考えていただろう。
IKに、教えをこう事は無かっただろう。

当然、四段を受験する程の実力も、身に付けているはずも無いだろう。
KW先生から教えてもらったとしても、四段をガチ受験しようとは考え無かっただろう。
推薦で四段になっていた事だろう。

2002年三段受験に不合格となったから、今の私がある。


昇段級審査に落ちるのは、悔しい。
審判の判定に納得がいかないのなら、なおさら悔しいだろう。

しかし、落ちる事は悪い事ではない。むしろ、プラスになる事の方が多い。

勝ちしか知らない奴、すなわちより負けを知らない奴より、負けを知っている奴の方が、知っている事が一つ多い。
負けたからこそ、自分の弱点が判り、強化する所、伸ばす所が判る。

審判に文句があるなら、絶対に文句を言わせない撃力を身に付ければ良いのだ。
その撃力を身に付けた時、実力は数段上がっている。

負けをプラスにする。
それが己に負けない。己に勝つと言うことだ。

日本拳法は武道だ。

武の道だ。
それは己を成長させる道だ。
成長するとは、今日の自分にあした勝つ。と言うことだ。

自分に負けるな。
負けたままで終わるな。
今日の自分に、あした勝て!

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