初めての日本拳法稽古を終えて

日本拳法のこと

1993年4月30日、第1回大会『K-1 GRAND PRIX ’93』が開催され、日本は格闘技ブームへと雪崩れ込んでいく。
立嶋篤史が、清水隆広を戦慄のローキック仕留めた試合を後楽園ホールで生観戦した私も、ご多分に漏れず、
「モーリス・スミスが負けた!ブランコ・シカテック、誰それ?」
と、愕然しつつ格闘技ブームに乗っていった。

それでも、私が日本拳法を始めるのは1年半ほど後の1995年11月の時点では、「武道」「格闘技」とは、「喧嘩好き」「選ばれた人」がやるような敷居は高いものだった。しかし幼少期、ハードパンチャー柴田邦明選手が好きで、猪狩元秀先生のマッハ・パンチに憧れていた私は、自宅のそばで日本拳法ができる事は、天命ではないかと感じた。

「敷居が高かろうが、危険だろうが、今自分がやりたい事をやりたい!」

黒綾館入門日の稽古の〆

日本拳法初体験の〆は、
「最後筋トレ!」
腕立て伏せ 30回
腹筋30回
背筋30回

「集合!着座!黙想!」
「黙想やめ!これにて本日の稽古を終わります。正面に礼。先生に礼。互いに例」
K館長「来週はいよいよ昇段級試験。まだ皆さん無級ですので、ぜひ参加してください」

私が入った1995年11月5日は、黒綾館が設立3年目。先輩達も入門して1年ほどしか経過しておらず、全員、白帯だった。
K館長の言った昇段級審査会が、黒綾館第一回目の昇段級審査会だった。

さらにK館長
「昇段級審査会の後に、黒綾館最強を決める、第2回黒綾館杯を行います。こちらは全員参加でお願いします。では解散」

稽古が終わるとOSマネージャーから今後の説明があった。
「最初の一ヶ月は会費無料です。一ヶ月やってみて自分に合うか試してください」
「もう入門は決めましたよ」
「そうですか(笑)」
「最高に面白いです」
「戦いが好きな人は日拳はまりますよね」
「先ほどおっしゃっていた、道場最強決定戦ですが…」
「黒綾館杯ですか?」
「ちょっとビビりますね」
「大丈夫ですよ。仲間内ですから。喧嘩、潰し合いはたまにあるだけです」
「そうですか(あるのかよ!)」

すると、横で聞いていたKWさん
「お坊さんが来なければね」
この一言で、OSさん、OTくん、その他がどっと笑う。
不安になった私「お坊さんって誰ですか?」
OSさんが答えてくれる。
「お坊さんね。お坊さんは黒綾館杯には出ませんよ(笑)。それに、今日やってみて判ったと思いますが、日拳の防具は良くできているので、心配いらないかと」
確かに良くできている。あれだけ全力で殴ったのにKRコーチはけろっとしている(私の撃力が低いのもあるのだろうけど)。

「判りました。参加します。エントリーするのに手続きいりますか?」
「入りません。こちらで適当に対戦組み合わせを作りますから」
道場があるのはいつもバドミントンをやっている、勝手知ったる市営体育館。
シャワーを浴びてと思ったが、この頃の稽古時間が午後5時~7時。
着替えて車で自宅へ直行。

家族の反応

「日本拳法!すっげー面白いよ。やっぱ俺はバドミントンより格闘技の方が、合っているな」
と、興奮気味で説明する私の話を興味なさそうに聞く妻。
「怪我して、仕事クビになったりしないでよね」
「そんな事、ある訳無いだろ!障害保険にも入ってるよ!風呂にも入るよ!」
といって、瓶ビールのモルツ(プレミアムではない)を冷蔵庫から冷凍庫へ移し、風呂に入る私。
風呂から出てキンキンに冷えたモルツを、これまたキンキンに冷えたグラスへ注ぐ。
喉をゴキュゴキュ鳴らしながら、一気に飲み干す。
「美味い!バドミントン後も美味いけど、このビールも最高に美味い!」
(やっぱいいなぁ。格闘技は。男のロマンだよな…)

とか、一丁前の事を考えながら、ビールが進む私。しかし、大事な事に気が付いた。
(まてよ。考えてみたら今日は、俺が一人でKRコーチの顔を殴っていただけだったよな?)
それで、勝手に一人で疲れて、勝手にへたり込んだだけだった…)
(格闘技でも何でもない。空回りおじさんじゃん!)

本質に気が付いて、顔から火が出る程、恥ずかしくなる私だった。

そして、さらに超大事な事に気が付く。
(勝手に一人で盛り上がって、道場最強決定戦にエントリーしちゃった訳だ。大丈夫か俺?)
とは言え、私は13歳から競技バドミントンを始め、試合経験は豊富。
(やれるだけやってみよう。明日から黒綾館杯へ向けて、コンディショニングしよう!)と、2本目の大瓶ビールを飲み干しながら、考える私だった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました