ほぼ33歳、殴り合いに積極参加

日本拳法のこと

最後に戦ったのはいつだったか?
確か19歳の時か?
友達数人と池袋で呑んでいて、東口にあった立ち食いそばやでそばを食っていたら、そば屋の前で友達が知らない連中と揉めて…。

いや待てよ。金剛禅29歳の時に少林寺拳法の初段をとったじゃいないか!
少林寺拳法修行時代は、12オンスのグローブを付けて剛法乱取りをやった。
少林寺の先生は、剛法乱取り好きだったし。
しかしなぁ、今目の前ので繰り広げられている戦いって、少林寺拳法みたいなスマートさゼロじゃん。

なんて事をぼんやり考えていた。
生まれて初めて、先輩たちに防具を付けてもらいながら…。



これから俺は戦う!戦うんだ!

「次、KNコーチと英佑くん」と、KR館長の良く通る声が道場に響く。
「はい」と、防具の中で響く自分の声。妙に甲高く、(あ俺、緊張しているんだ…)と気が付いた。
「英佑さん。こっち」とマネージャーのOさんが、コートへの入場位置を教えてくれる。
「試合の作法は、KNコーチの真似すれば良いですよ」とのOSさん。
日本拳法の試合コートは、柔道と同じ。場外を示す赤畳に囲まれた四角いジャングル!いや格技場だ。

紅白の開始線(稽古の時は貼っていないが)の左右延長の先、緑畳と赤畳の境目に私は立った。
向こう側にKNコーチが見える。見えるけどKNコーチの目を見る、余裕はない。

怖い…。いや、睨め!戦う前から逃げてどうする。
KNコーチの目を「おらぁ!」と見ると…

笑っている!
確かに笑っている!にっこりと!
なんで?

すると館長「礼」。
その声に合わせて、向こう側にいるKNコーチが頭を下げた。それに釣られるように頭を下げる私。
「位置について」
KNコーチが開始線へ向かって歩き始めた。私も真似して開始線に付く。
KNコーチが蹲踞の姿勢になったので、私も蹲踞の姿勢。(さっき、先輩達が試合をしているのを見ていたので)
「礼」
KNコーチの蹲踞礼をしたのに合わせて、私も蹲踞礼。

すると館長が、私に語りかける、
「審判が『始め』と言ったら、何をやっても良い」
(え?)
「審判が始め!と言ったら、喧嘩と思って何をやっても良い」
(え?何言ってんですか?KR館長!)
「喧嘩だからな。思いっきりぶん殴っていいからな」

「初め!」

館長の合図と同時に、相手のKNコーチから目を離さず、蹲踞から立ち上がる。
防衛本能なのか?
自然と間合いを切り、KNコーチと距離を取っていた。それも、かなりびびっていたのだろう。無意識のうちに、畳2枚ぐらい必要以上に距離を取っていた。
(さあ、来い!)
と、気合を入れて左前にして半身に構える。少林寺拳法の前3:後7の重心の構えを取った。
対するKNコーチを見れば…

やっぱり、笑っている。
唇を切るのを防ぐためか?口を閉じたままニンマリと笑っている。

その刹那、KNコーチは、ずんずんと私に向かって歩いてきた。
日本拳法を始めてから気が付いたのだが、私は天性の間合い感覚を持っていた。
だから、KNコーチが間合いが合った瞬間を捉え「あー!」と少林寺拳法の気合を入れ、KNコーチの鼻柱を右手で殴る。
ドンとモロに当たる。
(もらった!)と思ったが、一本を示す審判の旗は、ピクリとも動かない。
殴られたKNコーチは…
先ほどと同様に笑っている。
なぜ?なぜ?笑っていられるのか?

かーっと恐怖心が沸き起こる。
「あぁ!あぁ!あぁ!あぁ!あぁ!」とKNコーチの鼻柱を狙って、振り突きのように、ワン・ツーを連打する私。
グローブ越しに鉄面の硬さが拳に伝わってくる。

しかし、審判のKR館長は微動だにせず。
(気合が足りないのかな?気合は「あ!」じゃダメ?)と思い、左前半身に構え直して、渾身の右ストレートを「おりゃあ!」と気合と共に、KNコーチの顔面ぶん殴る!(よし!これで一本だろ!)
しかし、KR館長は「何かありましたか?」とも言い出しそうな自然体。
で、笑っている。
KNコーチは相変わらず、口を閉じて笑顔。

「はあ、はあ、はあ…」

気が付けば、私一人だけが息を切らし疲れている。
「1分経過!」とタイムキーパーをやっているOSさんの声が聞こえた。
(え、まだ1分!2分ってこんなに長かったっけ?)
はあ、はあ、はあ…と息の音。
ドクンッ!ドクンッ!ドクンッ!と心臓の音。
それだけが聞こえてくる。
(グローブが重い…)
その時、パーン!と、目の前で何かが破裂し一瞬視界が暗くなった。
顔面に、KNコーチの掌打を食らったのだ。

黙って見ていた審判のKR館長。
諭すように言う。
「ほら、攻めないと殴られるよ」
「うぉぉぉぉぉ!」
雄たけびと共に、KNコーチの顔面に、渾身のワン・ツー・パンチを何度も何度も叩き込む。
殴られているKNコーチは、ずっと笑ったまま。
「残り30秒」とOSマネージャーの声が聞こえる頃には、私のパンチはスローモーションになっていた。
「時間です!」
「止め!」とKR館長の声とともに、KNコーチがさっさと開始線に戻った。
私も力なく開始線に戻る。KNコーチにあわせて、蹲踞の姿勢をとる(のも、正直きつかった)。
「勝負。引き分け」

立ち上がり、後ずさり、入場位置へ戻り、礼をすると、OSマネージャーが近づいてきた。
「お疲れさま」と笑いながらのOSマネージャーの声を聞きながら、試合コートの横にへたれ込む私。
はあ、はあ、はあ…と息の音。

ドクンッ!ドクンッ!ドクンッ!と心臓の音が耳元で聞こえる

それに交じりOSマネージャーの声。
「面が重いでしょ?今、外しますよ」そう言いながら、OSマネージャーが面ヒモを緩めてくれる。
確かに面が重い。防具稽古の後の面は、三倍ぐらい重く感じた。

「何がやってましたか?」とOSマネージャー。
「ええ、少林寺拳法やってました」
「何段ですか?」
「一応初段です」
「やはりね。あれだけ戦えるのですから、(格闘技)経験者と思いましたよ」
「俺のパンチ。あれ一本じゃないんですか?」
「あれだと、日拳では一本になりません。当たったら相手が倒れているぐらいの威力でないと、一本になりません」
「そうなのか、あれだけ打ち込んでも…」
「他の格闘技経験者が、最初に苦労するのが、日拳で一本になる打撃なんですよ。だから、上段回し蹴りの方が一本は取りやすいかも知れません。人によりますけど」
「でも、日拳の戦いは面白いですね。思いっきり戦える」
「気に入りました?また病人が増えたかな(笑)。来週、黒綾館杯があるので出てください」
「黒綾館杯ですか?」
「毎年一回やっている黒綾館最強を決める大会です。今年は、昇段級審査会を兼ねて開催します」
「なるほど。試合で昇段級を審査するですか?」
「ええ、日本拳法は試合で強ければ、昇段できますから」

注意­:1995年当時は、日本拳法連盟における昇段級審査は初段までは道場に任されていた部分が多々あり、その審査科目には形は無かった。
「強けりゃ黒帯!」という判りやすい昇段審査だった。

初めての日拳の防具稽古を体験した私。日拳経験1時間30分ほどで、ローカルとはいえ大会出場が決定した。

私の武道家としての人生は、ここから始まった。
それにしても、この翌日。筋肉痛は全身津々浦々。生まれてこの方経験したことのない、超強烈な筋肉痛だった。

以下、日本拳法を始める1ヶ月前1995年10月6日の私です。
http://hachibukai.com/blog/wp-content/uploads/2021/05/19951006の俺.png

日本拳法を始める一ヶ月前の俺

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